<文化>から、人間らしい暮らしを問い直す 図書新聞に書評掲載

2021 0904 図書新聞9月4日号 書評「文化的に生きる権利」

図書新聞2021年9月4日号に、中村美帆『文化的に生きる権利 文化政策研究からみた憲法第25条の可能性』について、現在の社会状況に照らしながら、この研究の価値を評する書評を書きました。

(本文より一部抜粋)

2021年も、芸術文化と生活の両面で、コロナの深刻な影響が続いた。一方には、舞台演劇やコンサートが開催できない、そのことを補う支援も不足している、といった、コロナ禍そのものの問題がある。

もう一方には、労働条件の実質的悪化や家庭内でのケア(養育・介護)担い手の負担増、そして貧困問題や虐待問題など、コロナ以前からあった文化的生活保障をめぐる問題が、コロナ禍によって深刻化し、あるいは支援が後手に回っているという問題がある。

(中略)とくに憲法制定過程において「文化」という言葉はどのように語られ、採用されまたは消えていったかということに、ここまで徹底的に光を当てた実証研究はこれまでなかったのではないだろうか。この憲法制定過程における議員と市民の言説の検証研究の部分(第2部、2,3,4章)は、憲法の分野においてその必要性が語られながらも手薄だった分野に本格的な研究成果が加わった部分として、圧巻である。

(中略)

今、文化芸術が私たちに与えてくれる想像力は、ライフラインそのものとなりつつある。社会が各種のインフラへの依存度を高めるにつれ、その切実さも高くなる。災害時に避難所を使わせてもらえなかったり、病気に罹ったときに医療の提供を受けられなかったり、生存のために必要な情報から排除されてしまったとき、私たちは簡単に生命・生存そのものを失う。そして、「あの人(たち)は、このインフラの中に入れなくてもいい人たちだ」、という言説が社会に広まってしまうと、生存の危機は一挙に現実的なものになる。しかも私たちは、同じ人間であるはずの人々に対して、「同じ人間と見なくてもいい」という口実を見つけ出す特異な能力を持っているのである。

この奇妙な能力によって、私たちは共存の可能性に背を向け分断や紛争に走る可能性もある。歴史を見れば、人間はこれを繰り返してきた。芸術文化は、そこで「同じ人間」としての共存感覚を取り戻すのに必要な想像力を提供することができる。法学的な理屈の言葉で「これは人権問題だ」とか「これは救済が必要だ」と語られても何も感じるところがなかったのに、映画や絵画や文芸作品によって「これはこういう問題だったのか」と、何かをつかんだ感覚を経験した人は多いのではないだろうか。社会は、理屈だけではなかなか成り立たず、そこに人間社会らしい「つながり」を成り立たせるために、文化的な営みは必須の要素なのである。

コロナ社会の中で、そのような文化芸術の位置づけがともすれば見失われ、だからこそ議論の巻きなおしが必要となっている現在、本書は、私たちに思考の足場を与えてくれる一冊である。

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