東京新聞「新聞報道のあり方委員会」座談記録掲載

2022 0406 東京新聞「あり方委員会 座談会」

4月6日の東京新聞10-11面に、3月末に行われた同紙「新聞報道のあり方委員会」の座談会の内容が掲載されました。

大変中身の濃い座談会になりました。深刻な国際状況・国内状況が続いている中、そこに真摯な思いでかかわろうとする報道人と研究者が集って、しっかりとした方向性を語り合えたことは、必要で有意義なことでした。

志田発言部分のみ、一部抜粋

―報道と人権について。

差別発言、差別的な価値観を再生産してはいけない。こうした発言を公人がやると、共存社会が壊れる。臆せず批判する報道をしてもらいたい。

以前、「新聞を読んで」コーナーで、「人権保障こそ安全保障」というコラムを書いた。いざという時に他国が助けてくれるか考えたら、国内の外国人の人権保障は大切だ。ところが日本はそこに、あまりに無頓着。今、政府はウクライナの「避難民」を受け入れているが、落ち着いたら「難民」ではない、と放り出す可能性もなくはない。これを機に、人権保障のあり方を見直す取り組みがあるといい。

ロシア人へのヘイトスピーチは非常に深刻。ヘイトの許可となる作用をメディアや公人が生むことがある。暴力は非難するが、ロシア人を非難しているわけではないと報道の区別をしてほしい。

―ウクライナ情勢。

ウクライナ侵攻の何を非難すべきかという評価軸が東京新聞はぶれていない。これからもぶれない報道をというのが、第一の希望です。

ゼレンスキー大統領への感情的英雄視は危ない。侵攻で人命が失われる一方、武装して抵抗する市民が戦闘の標的になる。(中略)評価軸は人命の大切さという姿勢でいてほしい。

ウクライナ問題で、国際世論などの言葉の力を冷笑するような発言が著名人から出た。だからこそ軍事力を日本も持たないといけないという言論とセットで共有されたように見える。民主主義の危機に直結すると思うが、ここに対しても、東京新聞は核シェアリングは粗雑な議論とはっきり言ってくれた。

もう一つ、ウクライナ市民が現状をSNSに上げているが、これは避難できない悲惨な状態を訴えるSOS。ジャーナリズムが消費対象にするのは人道的に非常に問題。センセーショナルな記事、臨場感のある写真という競争に陥らないでほしい。

―いま、民主主義が問われている。

真っ先に関連で目に入ったのが三月二十一日朝刊「『敵基地攻撃』議事録なし」。記録は有権者が国政を評価する足場になるもので、とりわけ、時間がかかる議論には絶対に必要。シリーズ「民主主義のあした」でも、情報公開で真っ黒な文書しか出てこないという記事があった。知ることができない時、せめてそのことを報道する。東京新聞は引き続き、ウオッチし続けてほしい。

国政担当者の議論で国政が決まり、市民が評価し、世論を作って民意を知ってもらう。このサイクルが、自転車の車輪のように倒れずにグルグル回っているのが民主主義。政治のリーダーは、自分を支える民意がどこにあるか気にする。だから民意を示すことが重要。

なのに最近、憲法、安全保障、原発などの講演会開催などに、公民館が難色を示すことが多い。民主主義はトップダウンの判断をただのむものではなく、ボトムアップの声を上げていくことが大事。新聞は市民が出しにくくなっている議論をどんどん載せてほしい。

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