東京新聞10月18日夕刊に論説掲載
掲載紙面の一部のみ、こちらに掲載します。
「市長の座るべき場所」
公人も、私人としてプライベートに芸術を愛好する場面では、自分流の芸術観を持つ自由があるし、自分の気に入った作品や作家をひいきにし、好まない作品を支援しない自由がある。しかし、「公」が文化芸術を支援するというときには、公務担当者や政治家の個人的選好を持ちこまないことが、「公」のルールだ。
ここまでが筋論だが、しかしここで市長がどうしても自分の言論を芸術祭の場に出したいと思うならば、市長の表現活動をパブリック(公衆)の議論を誘発する「ポリティカル・アート」として――「芸術祭とは何か」「公金を使って行う文化事業とは何か」を問いかける「作品」として――理解する道がある。しかしそのためには、「政治的メッセージ性のある表現は芸術祭の場に置けない」という持論を手放してもらわなくてはならない…
2019-11-10 by
関連記事